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淑女たちの肉玩具

東京のM男です。 子どもの頃から女性たちの肉玩具にされ、Mの身体へと改造(調教)され、まともなS〇Xが出来ない身体になってしまいました…。S女様、痴女様を悦ばせるありとあらゆる調教を受け、性交せず肉体的快楽を求めるための玩具に改造されました。その過程への実体験をご覧ください。今後のMとしての妄想願望もアップしています。

カテゴリー "10代の実体験" の記事

若気のいたり M本さま②

どんなに経験を積んでも、付き合い始めた頃は相手がどんなプレイをするのか警戒(?)しながら、探りながらプレイするものです。
ですので、M本のおば様のご自宅に初めて食事に招かれた時のプレイは普通のものでした。ゴムを嵌めて挿し込んで…。

けど、密会を続けるうちにプレイが変わっていきました。
その都度、M本のおば様の気分でプレイが決まりました、って当たり前ですよね(笑)。けど、まだ10代だった私には新鮮な体験でした。

初めての時、「おばさん、毛が生えていないツルツルが大好きなの」とおっしゃられ、次にお会いする際、ツルツルにしていきました。その時はプレイに至りませんでしたが、お会いするときは必ず手入れをしてツルツルで行きました。

そんなある日、「欲しい」と言われ、言われるまま服を脱ぐとツルツル下半身が…。
それを見てスイッチが入ってしまったようです。

私がおば様の肉体を弄ることは許されず、ただ私の身体を玩具になさいました。
テーブルの上に寝かされ、私のツルツル下半身を玩具になさいました。

ご褒美と称し、ぐちょぐちょに濡れたアソコを舐めさせてくださいました。

東京の神田神保町のアダルトショップで浣腸器アナルプラグを買って持参すると、すぐさまこのおば様に肛門開発されてしまいました。
石鹸水を肛門から注入されアナルプラグを嵌められました。後ろ手に縛られ、下半身で暴れまわる浣腸液の苦しみに脂汗をかきながら耐える姿を、暖かいまなざしで、じっとご覧になっていました。
トイレで激しく放出する姿も楽しそうにご覧になっていました。便座に座らず、かがむ形で放出するのが見える姿勢で放出させられました。それをまじまじとご覧になっていました。
ご経験がある方なら分かるかと思いますが、脱糞した後の下半身は非常に過敏になり、かつ、ぐったりとしてしまいます。そんな私に首輪をつけ、部屋の中を引きずり回してくださいました。
そして、あおむけに横になる私の顔面にお座りになり、息に苦しみながら、おば様の下半身を舐めまわしました。
おば様は、私の下半身でガン立ちする肉棒をおしゃぶりになり、お口の中への射精をお許しくださいました。
ドクドクと放出する噴射口を舌先でチクチクと刺激なさり、下半身がふっとぶほどの快楽を与えられました。
人生で初めての肉体的快楽、享楽でした。

責めはエスカレートし、おば様は「こんな感じのを買ってきて」と言われる、言われるまま私はアダルトグッズを揃えました。当時、18~19歳だった私は、同世代の女性よりも40歳過ぎのおば様の責めに溺れてしまったのです。

もちろん、今でいう「不倫」です。
子どもに手がかからなくなり時間が出来たのに、旦那に相手にしてもらえずエッチなんぞもう十年以上ご無沙汰。
あまりに悲しすぎる人生だって始めたパートで私と出会ったそうです。
それが行き過ぎて、裸の私の身体でお遊びになるようになってしまった。
まだまだ性欲は衰えず、…って旦那はどうせ見えないところで、って開き直っていらっしゃいました。

そんな関係ですから、若い男の身体への責めは、想像を絶した創造でなされたようです。 

若気のいたり M本さま

若気の至りです。
某寮(と言っても普通のアパート)の部屋で、S女様に強制的に取られました。
チン拓』です。

シャワーを浴びながら無理やり直飲みをさせられ、その後、部屋に戻ると土下座させられ、S女様は私の後頭部に脚を乗せ、忠誠を誓うように強制しました。
そして、後ろ手に縛られ、パイパンのおちんちんに墨を塗られました。

屈辱とともに腰を沈めて紙に捺しました。

その後、そのおば様のペットとしてお仕えしました。
最高の性春時代でした。 

エスカレート

幼〇体験というのは恐ろしいもので、それがたとえ屈辱的な体験であっても、快楽を感じてしまうと再びその世界へと戻りたくなるもののようです。

以前も書きましたが、私のM人生は、小〇生低学年の頃、近所の上級生のお姉さんたちに玩具にされたことから始まりました。
両親共働きの女の子の家に毎日のように呼び出され、パイパンの下半身を露出させられ、複数のお姉さんたちに玩具にされました。
両親のいない寂しさを、まるで私の下半身を玩具にすることで紛らわしているかのようでした。

名目は「お医者さんごっこ」なのですが、治療なんかしません。視診や触診ばかりで私のおちんちんをひたすら弄り続けるのです。時に玩具やガーゼを使って弄られましたが、下半身を露出させるなりぬれタオルで消毒され、あとはお姉さんたちの手で弄られっぱなしでした。そのうち私の下半身もズボンやパンツを下す前から肉棒がガン立ちするようになり、おりこうさんだと褒められる始末でした。

その頃はまだ子ども。乳首への関心よりも下半身の男性パーツに興味があるらしく、様々な反応を示す肉棒に喜んでいました。特に、皮を剥いた後のピンク色に輝く亀頭部が非常に敏感だということをお姉さんたちも気づいたようで、一度、気づいたらその後はその度ごとに包皮をめくられ、ピンク色の部分に刺激を与え、もだえ苦しむ私の姿に興奮していました。特に綿棒で先端部をなぞると、私が声を出して悶えるため、けらけらと笑いながら刺激を繰り返していました。
それに飽き足らず、責めはエスカレートして行きました。

カチンカチンになった男根を握るのに快感を覚えたお姉さんたちは、ギンギンに勃起した肉棒を指で弾いて遊ぶのが大好きでした。思い切り下に曲げ、玉袋を2つに割るように指で押し付けたかと思うとその指を外し、「ビンッ!」と立ち上がる肉棒を見て、キャッキャと喜んでいました。
ある時、図画工作で使う竹ひごを取り出すと、その竹ひごでガン立ちした肉棒を鞭打ち始めました。所詮は竹ひご、痛いようなくすぐったいような刺激に反応していると、他のお姉さんが20㎝のプラスチック定規を持ち出し、思い切りしなを作って折り曲げ、一気に指を外し、プラスチック定規が私のガン起ちした肉棒を打ち付けました!

「ぐあぁ!!」

さすがに悲鳴をあげてしまいました。
しかし、いつものように私の身体は畳の床に押し付けられ、身動き取れない状況でした。
その悲鳴がお姉様たちの心に火を灯し、続けざまにプラスチック定規で私の肉棒を打ち付け続けました。

「ははははは!赤くなってるぅ~!!」

真っ赤になった私の肉棒ペニスを見てお笑いになられるお姉さまたち。
しかしながらお医者さんごっこ、女性の優しさというか、冷たく濡らしたタオルで優しく私の肉棒を包み、握ってくださいました。

以後、その責めは「お仕置き」と名付けられました。

大人になっても、その頃の体験が忘れられず、さらにエスカレートする始末です。
今じゃ、プラスチック定規の代わりに1本鞭。
しかも、指定した回数、打たれるのを耐え続けられなければ、飲〇させられます。
それを直飲みで飲み干さないと、さらなるお仕置き…。

M人生は続きます。


MK様

高校時代に付き合った、というより飼われたS女様は、女王様の貫禄十分でした。
中学時代よりいろいろなうわさがあったようで、いわゆる「ヤリマン」の女性で、それでも、話をしてみるとごく普通のまともな「美人」でした。
なもんだから、ただの周囲の僻みくらいにしかとらえておらず、普通に接していました。
けど、1年生の3学期にあった社会科見学あたりから様子が変わってきました。

嫌味な社会科狂師に引率されて、片道40分の電車に揺られ、集合場所の駅前から徒歩で出発したのですが、当然、高校生、まともに歩いたりせず、はぐれるものや時間を守らない者が続出しました。
そんな中で、彼女とは離れず、ずっと歩いていました。
見学場所につくと、嫌味な社会科狂師の説明を受けながらメモを取りました。メモを取っていると彼女が私のメモをのぞき込んできました。そして、狭い中、周囲に気づかれないよう、彼女が私に身体を密着させてきたのです。
始めのウチは混雑した環境で、仕方なく、かと思いきや、違う見学場所でも同様に身体を密着させ、仕舞には私の首元に息まで吹きかけてきます。
あの噂は本当かと思うよりも先に、思春期で、鉛筆よりち〇こを握っている時間の方が多いような年頃、我慢できるはずもありませんでした。

その時以後、彼女に対し、変な期待を持つようになりました。
そして、2年生になって月日が経ったある時、彼女のいる部室に呼び出されました。
お互い協力できる面で協力し合おうみたいな話になったのを覚えています。

そんな打ち合わせが一息ついた時、いきなり言われました。

「〇〇君ってMなんでしょ?」

当時は、まだネットなど普及していません。
また、SだのMだのは、仲間内でこっそり交換するエロ本の世界でのお話し、しかも、性欲旺盛の高校男子同士の猥談の中でのキーワードでした。
そんな言葉を吐いた彼女に驚いていると、すかさず

「私もそういう趣味があるの。私の場合、S。」

必死に話をそらそうとしました、というより、人格を疑われたくなかったので、普段の生活の話題に切り替えました。

「確かにそうだよねぇ~、先生に厳しいこと言われても我慢できるもん、ははは。」

みたいに胡麻化したのを覚えています。
そして、あの先生は、Sだよね、絶対、みたいな話をしていると、いきなり平手打ちが飛んできました。

驚きを隠せないでいると、つぎはいきなり頬をつね上げられました。
何も言い返すこともやり返すこともできず、彼女のされるままになっていました。

「とぼけてるの?」

そういうなり彼女は私の胸をワイシャツの上から摘まみ上げました。

「ねぇ?」

椅子に座っている私の太ももの上に彼女が足を乗せました。

「○○君は、女の子の身体を弄るより、女の子に身体を弄られる方が好きなんでしょ?××君が言ってたよ。」

××とは、中学時代の親友でした。同じ高校に進学して彼女と同じクラスになって、たまたま私の話題が出た席で、中学時代にこっそり話した小学校低学年時代の体験を彼女にバラしたようです。
おそらく、私に関心をもった彼女が美人で、嫉妬ににた感情から私の悪いイメージを与えてやろうと思ったのでしょうが、それが逆効果だったのは言うまでもありません。
彼女のS性に油を注いでしまったようです。

この部室にはいろんなものが置いてあります。
部活名を言えば納得いけるかと思いますが、その中から「プラ棒」なるものを取り出しました。これはプラモデルの改造何かに使うプラスチックの細い棒で、角棒と丸棒がありました。
その丸棒を手に持つと、先端部を口で舐めまわしました。
そして、私の前にしゃがむなり、私のズボンのチャックを下しました。
手で押さえようとすると手の甲に平手打ちが飛びます。
されるがままにチャックを下され、トランクスの口に手を入れ、彼女は私の肉棒を摘まみだしました。

もじゃもじゃの毛の中から顔を出す仮性包茎の短小ち〇こ…。

「次に会う前に、この邪魔な毛を剃っておくのよ。」

そういうなり、肉棒の先端の皮をズルリと剥き下ろしました。
そして、先端から我慢汁を流す尿道口にプラ棒を突き立てると、ゆっくりと挿入していったのです。

「うっうっうっ…。」

声が出てしまいました。声は出てしまうのに抵抗しない私に

「やっぱりMじゃん?」

彼女はそう言いながらゆっくりとプラ棒を私の尿道に挿入していったのです。

私が尿道処女を奪われた瞬間でした。





おば様の玩具

女性、特に、少女を玩具にするという状況はたくさんあります。

でも、私の場合、少年が玩具にされるという状況でした。
今でこそ、中年女性と10代の若者との関係が問題視されるようになりましたが
昔はそれほど騒がれなかったような気がします。
私自身、十代後半の好奇心、性欲ともに旺盛だった年頃では、それが問題であるとまで考えられませんでしたし、
快楽の世界に身を委ねてしまいました。
今思うと、それが後の人生を左右してしまうとは思いもよらなかったことですが…。

ファーストフードでアルバイトしていた時、知り合った女性。
何でも素直に言うことを聞いてしまう私の性格から、とても可愛がってもらいました。
けど、それがプライベートになると、いささか度が過ぎてしまったと反省してしまいます。


初体験は高校の後輩でしたが、本物の悦楽を教えてくださったのは、このおば様でした。


未成年である私はお酒などは入りませんでしたが、雰囲気的に誘われているのが分かり、そのままホテルへ行きました。
若者が利用するラブホテルのような場所ではなく、普通のホテルといった感じでした。
そこではるか年上の女性と関係しました。
ごくごく普通の、ノーマルな肉体関係でしたが、そこで私自身の性癖を見抜かれてしまいました。
「ペット」だの「玩具」だのと呼ばれ、次に会う約束をさせられました。
そして、アブノーマルな世界へと導かれたのでした。


ご自宅のマンションに誘われるなり、全裸になることを強要されました。
2人で部屋にいる間は常に全裸でいることを強要されました。
また、股間の肉棒も、おば様の命令によっておっ起てておくように言われました。
常に発情した犬であることを強要されました。

まずは掃除です。
別に汚れていない清潔なお部屋だったのですが、若い10代の男が全裸で部屋掃除する様をご堪能になりたかったのだと思います。
私は言われるまま股間のものを勃起させ、部屋掃除を行いました。
けど、男性なら知っているとおり、何か作業をして意識がそれるとすぐさま勃起は萎えてしまいます。
萎えさせるたび、お尻に蹴りが飛びました。

それでも無理というものです。
仕舞には、フル勃起状態にさせられ、肉棒の付け根をギチギチにタコ糸で縛られ、萎えないようにさせられました。
けど、やはり萎えてしまいます。
萎えても付け根を縛られている関係から、血液が逆流せず、根元から先はパンパンに膨張した状態でだらりと垂れ下がっていました。
自分のペニスがどうにかなってしまうんじゃないかと心配するほどでした。
それでも、部屋掃除をさせられ、掃除が甘い!とお叱りになられました。

掃除の甘さの罰として、ハタキの柄の部分を肛門に挿し込まれました。
両手を床につき、膝を伸ばしてお尻を高々と掲げ、おば様の目の前に晒された肛門に、ハタキの柄が差し込まれました。
コンドームを柄の先に被せて肛門に挿し込んだため、スルスルとハタキの柄が私の身体に入ってきました。
肛門に力を入れ、それを吐き出さないよう命令され、今度は台所の皿洗いをさせられました。

何と無様な格好でしょう。
叱り飛ばされながら、全裸で皿洗いをしました。
股間の肉棒は、血液が逆流せず、膨張したままだらりと垂れ下がり、肛門からはハタキが生え、時々、おば様の命令で、お尻を振るように言われました。

皿洗いが終わると、ビニールテープで両腕を後ろ手に縛られました。
すると、今度は両乳首に洗濯ばさみが挟まれました。

可愛い、可愛いと褒めてくださるおば様のためなら何でもしよう!
そんな気持ちで必死でした。

冷たく、膨張したままだらりと垂れ下がっていた肉棒の付け根のタコ糸が外されました。
すると今度は、私の皮冠りの皮を先端までぎゅっと包み、大型クリップで先端を挟んで塞いでしまいました。
両手は後ろ手に縛られており、自分の肉棒に施される責めを振り払う術はありません。

口づけをされ、舌を突っ込まれ、涎を垂らしながら口の中をぐちゃぐちゃにされると、すぐさま肉棒が膨張を始めます。
しかし、大型クリップで先端をふさがれている肉棒は、皮の中で膨張するしかありません。
そんな様子も、可愛い、可愛いとおっしゃってくださいました。

しかし、肛門に挟んでいたハタキが外れてしまうと、おば様の態度が豹変しました。
大型クリップで先端をふさがれながらもカチンカチンになった私の肉棒を力の限り握り潰し、引っ張り上げたのです。

あまりの恐怖に許しを乞うほかありませんでした。

おば様のお怒りが終わると、そのままベッドへと連れていかれました。
両乳首の洗濯ばさみは外されましたが、後ろ手に縛られたままの姿勢でベッドへと寝かされ、後はおば様の玩具でした。
全身を弄りまわされ、カチンカチンにおっ起った肉棒を貪欲に貪っていらっしゃいました。


この快楽に、10代の若造が耐えられるわけはありません。
その後、何度もおば様に身体を委ね、自由にしていただきました。
乳首が敏感なのも、おば様に由るところだと思います。


Mとしての肉体へと改造された日々でした。