おば様の玩具
女性、特に、少女を玩具にするという状況はたくさんあります。
でも、私の場合、少年が玩具にされるという状況でした。
今でこそ、中年女性と10代の若者との関係が問題視されるようになりましたが
昔はそれほど騒がれなかったような気がします。
私自身、十代後半の好奇心、性欲ともに旺盛だった年頃では、それが問題であるとまで考えられませんでしたし、
快楽の世界に身を委ねてしまいました。
今思うと、それが後の人生を左右してしまうとは思いもよらなかったことですが…。
ファーストフードでアルバイトしていた時、知り合った女性。
何でも素直に言うことを聞いてしまう私の性格から、とても可愛がってもらいました。
けど、それがプライベートになると、いささか度が過ぎてしまったと反省してしまいます。
初体験は高校の後輩でしたが、本物の悦楽を教えてくださったのは、このおば様でした。
未成年である私はお酒などは入りませんでしたが、雰囲気的に誘われているのが分かり、そのままホテルへ行きました。
若者が利用するラブホテルのような場所ではなく、普通のホテルといった感じでした。
そこではるか年上の女性と関係しました。
ごくごく普通の、ノーマルな肉体関係でしたが、そこで私自身の性癖を見抜かれてしまいました。
「ペット」だの「玩具」だのと呼ばれ、次に会う約束をさせられました。
そして、アブノーマルな世界へと導かれたのでした。
ご自宅のマンションに誘われるなり、全裸になることを強要されました。
2人で部屋にいる間は常に全裸でいることを強要されました。
また、股間の肉棒も、おば様の命令によっておっ起てておくように言われました。
常に発情した犬であることを強要されました。
まずは掃除です。
別に汚れていない清潔なお部屋だったのですが、若い10代の男が全裸で部屋掃除する様をご堪能になりたかったのだと思います。
私は言われるまま股間のものを勃起させ、部屋掃除を行いました。
けど、男性なら知っているとおり、何か作業をして意識がそれるとすぐさま勃起は萎えてしまいます。
萎えさせるたび、お尻に蹴りが飛びました。
それでも無理というものです。
仕舞には、フル勃起状態にさせられ、肉棒の付け根をギチギチにタコ糸で縛られ、萎えないようにさせられました。
けど、やはり萎えてしまいます。
萎えても付け根を縛られている関係から、血液が逆流せず、根元から先はパンパンに膨張した状態でだらりと垂れ下がっていました。
自分のペニスがどうにかなってしまうんじゃないかと心配するほどでした。
それでも、部屋掃除をさせられ、掃除が甘い!とお叱りになられました。
掃除の甘さの罰として、ハタキの柄の部分を肛門に挿し込まれました。
両手を床につき、膝を伸ばしてお尻を高々と掲げ、おば様の目の前に晒された肛門に、ハタキの柄が差し込まれました。
コンドームを柄の先に被せて肛門に挿し込んだため、スルスルとハタキの柄が私の身体に入ってきました。
肛門に力を入れ、それを吐き出さないよう命令され、今度は台所の皿洗いをさせられました。
何と無様な格好でしょう。
叱り飛ばされながら、全裸で皿洗いをしました。
股間の肉棒は、血液が逆流せず、膨張したままだらりと垂れ下がり、肛門からはハタキが生え、時々、おば様の命令で、お尻を振るように言われました。
皿洗いが終わると、ビニールテープで両腕を後ろ手に縛られました。
すると、今度は両乳首に洗濯ばさみが挟まれました。
可愛い、可愛いと褒めてくださるおば様のためなら何でもしよう!
そんな気持ちで必死でした。
冷たく、膨張したままだらりと垂れ下がっていた肉棒の付け根のタコ糸が外されました。
すると今度は、私の皮冠りの皮を先端までぎゅっと包み、大型クリップで先端を挟んで塞いでしまいました。
両手は後ろ手に縛られており、自分の肉棒に施される責めを振り払う術はありません。
口づけをされ、舌を突っ込まれ、涎を垂らしながら口の中をぐちゃぐちゃにされると、すぐさま肉棒が膨張を始めます。
しかし、大型クリップで先端をふさがれている肉棒は、皮の中で膨張するしかありません。
そんな様子も、可愛い、可愛いとおっしゃってくださいました。
しかし、肛門に挟んでいたハタキが外れてしまうと、おば様の態度が豹変しました。
大型クリップで先端をふさがれながらもカチンカチンになった私の肉棒を力の限り握り潰し、引っ張り上げたのです。
あまりの恐怖に許しを乞うほかありませんでした。
おば様のお怒りが終わると、そのままベッドへと連れていかれました。
両乳首の洗濯ばさみは外されましたが、後ろ手に縛られたままの姿勢でベッドへと寝かされ、後はおば様の玩具でした。
全身を弄りまわされ、カチンカチンにおっ起った肉棒を貪欲に貪っていらっしゃいました。
この快楽に、10代の若造が耐えられるわけはありません。
その後、何度もおば様に身体を委ね、自由にしていただきました。
乳首が敏感なのも、おば様に由るところだと思います。
Mとしての肉体へと改造された日々でした。
でも、私の場合、少年が玩具にされるという状況でした。
今でこそ、中年女性と10代の若者との関係が問題視されるようになりましたが
昔はそれほど騒がれなかったような気がします。
私自身、十代後半の好奇心、性欲ともに旺盛だった年頃では、それが問題であるとまで考えられませんでしたし、
快楽の世界に身を委ねてしまいました。
今思うと、それが後の人生を左右してしまうとは思いもよらなかったことですが…。
ファーストフードでアルバイトしていた時、知り合った女性。
何でも素直に言うことを聞いてしまう私の性格から、とても可愛がってもらいました。
けど、それがプライベートになると、いささか度が過ぎてしまったと反省してしまいます。
初体験は高校の後輩でしたが、本物の悦楽を教えてくださったのは、このおば様でした。
未成年である私はお酒などは入りませんでしたが、雰囲気的に誘われているのが分かり、そのままホテルへ行きました。
若者が利用するラブホテルのような場所ではなく、普通のホテルといった感じでした。
そこではるか年上の女性と関係しました。
ごくごく普通の、ノーマルな肉体関係でしたが、そこで私自身の性癖を見抜かれてしまいました。
「ペット」だの「玩具」だのと呼ばれ、次に会う約束をさせられました。
そして、アブノーマルな世界へと導かれたのでした。
ご自宅のマンションに誘われるなり、全裸になることを強要されました。
2人で部屋にいる間は常に全裸でいることを強要されました。
また、股間の肉棒も、おば様の命令によっておっ起てておくように言われました。
常に発情した犬であることを強要されました。
まずは掃除です。
別に汚れていない清潔なお部屋だったのですが、若い10代の男が全裸で部屋掃除する様をご堪能になりたかったのだと思います。
私は言われるまま股間のものを勃起させ、部屋掃除を行いました。
けど、男性なら知っているとおり、何か作業をして意識がそれるとすぐさま勃起は萎えてしまいます。
萎えさせるたび、お尻に蹴りが飛びました。
それでも無理というものです。
仕舞には、フル勃起状態にさせられ、肉棒の付け根をギチギチにタコ糸で縛られ、萎えないようにさせられました。
けど、やはり萎えてしまいます。
萎えても付け根を縛られている関係から、血液が逆流せず、根元から先はパンパンに膨張した状態でだらりと垂れ下がっていました。
自分のペニスがどうにかなってしまうんじゃないかと心配するほどでした。
それでも、部屋掃除をさせられ、掃除が甘い!とお叱りになられました。
掃除の甘さの罰として、ハタキの柄の部分を肛門に挿し込まれました。
両手を床につき、膝を伸ばしてお尻を高々と掲げ、おば様の目の前に晒された肛門に、ハタキの柄が差し込まれました。
コンドームを柄の先に被せて肛門に挿し込んだため、スルスルとハタキの柄が私の身体に入ってきました。
肛門に力を入れ、それを吐き出さないよう命令され、今度は台所の皿洗いをさせられました。
何と無様な格好でしょう。
叱り飛ばされながら、全裸で皿洗いをしました。
股間の肉棒は、血液が逆流せず、膨張したままだらりと垂れ下がり、肛門からはハタキが生え、時々、おば様の命令で、お尻を振るように言われました。
皿洗いが終わると、ビニールテープで両腕を後ろ手に縛られました。
すると、今度は両乳首に洗濯ばさみが挟まれました。
可愛い、可愛いと褒めてくださるおば様のためなら何でもしよう!
そんな気持ちで必死でした。
冷たく、膨張したままだらりと垂れ下がっていた肉棒の付け根のタコ糸が外されました。
すると今度は、私の皮冠りの皮を先端までぎゅっと包み、大型クリップで先端を挟んで塞いでしまいました。
両手は後ろ手に縛られており、自分の肉棒に施される責めを振り払う術はありません。
口づけをされ、舌を突っ込まれ、涎を垂らしながら口の中をぐちゃぐちゃにされると、すぐさま肉棒が膨張を始めます。
しかし、大型クリップで先端をふさがれている肉棒は、皮の中で膨張するしかありません。
そんな様子も、可愛い、可愛いとおっしゃってくださいました。
しかし、肛門に挟んでいたハタキが外れてしまうと、おば様の態度が豹変しました。
大型クリップで先端をふさがれながらもカチンカチンになった私の肉棒を力の限り握り潰し、引っ張り上げたのです。
あまりの恐怖に許しを乞うほかありませんでした。
おば様のお怒りが終わると、そのままベッドへと連れていかれました。
両乳首の洗濯ばさみは外されましたが、後ろ手に縛られたままの姿勢でベッドへと寝かされ、後はおば様の玩具でした。
全身を弄りまわされ、カチンカチンにおっ起った肉棒を貪欲に貪っていらっしゃいました。
この快楽に、10代の若造が耐えられるわけはありません。
その後、何度もおば様に身体を委ね、自由にしていただきました。
乳首が敏感なのも、おば様に由るところだと思います。
Mとしての肉体へと改造された日々でした。