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淑女たちの肉玩具

東京のM男です。 子どもの頃から女性たちの肉玩具にされ、Mの身体へと改造(調教)され、まともなS〇Xが出来ない身体になってしまいました…。S女様、痴女様を悦ばせるありとあらゆる調教を受け、性交せず肉体的快楽を求めるための玩具に改造されました。その過程への実体験をご覧ください。今後のMとしての妄想願望もアップしています。

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隠れ家

本当に情けないほど小さなペニスです。

子どもの頃は問題なかったのですが、やはり陰毛が生える年ごろになると、温泉だの銭湯だのに入ることがはばかられるようになりました。
どうしても入らなければならないような状況では、必死にタオルで隠し、脱衣・着衣の際も、誰にも見られないように必死に隠しながら行っています。

そんな情けない人生でも、解放の時を見つけました。

そう。
ホテル・ルー〇インの大浴場…。
チェックインが15時で、15時にチェックインし、すぐに大浴場へ行きます。
当然、他のお客など1人もおらず、タオルで隠す必要もありません。
完全に解放的な気持ちで、悠々と大浴場に浸かるのです。
惨めな現実から逃れるべく、仕事先の関係上、小田急沿線のホテルに予約を入れ、
『隠れ家』なんて呼んで、時々利用しています(笑)

けど、S女様とホテルへ入るような場合は別です。
ラブホテルのお風呂って、広い!
そんな広いお風呂で全てを晒し、S女様にご奉仕する。
大股を開いてお立ちになるS女様のアソコに大きく開いた口を近づけ、黄金色の液体を流し込んでいただく。
もうそこからS女様の責めが始まります。
石鹸まみれになったS女様の御指が私の肛門を犯すと、惨めな肉棒はカチンカチンにそそり立ち…。

そんなS女様も、コロナ以降、いらっしゃいません。
新しい出会いを求めています。


【閲覧注意】不快にさせてしまうかもしれない写真がアップされています。

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暑い夏が来ました…

私は、小学生の時、近所のお姉さんたちに、性的玩具にされました。
はじめのうちは、単なるお医者さんごっこだったのですが、そのうちエスカレートし、体を押さえつけられた状況で、下半身を玩具にされました。
いくつものお姉さんたちの手が、私の無毛ペニスを弄り回し、遊んでいました。
そして、被った皮を剥かれ、無垢なピンク色した亀頭部にウナコーワを塗られ、その激痛にのたうち回る私の姿を見て、お姉さんたちの心に、何か火が灯ったようです。
それ以降、私は常に拘束されて玩具にされました。
ガン起ちした肉棒を握りしめ、先端の穴に何か棒を指してみようか、となった時は、さすがに恐怖を覚え、泣いて許しを請いました。
おかげで、その時は尿道処女を守ることが出来ました。
私は小学生。相手は小中学生の年上のお姉さんたち。
さすがに口に含むと言った行為はなく、ただ手や道具で私の下半身を虐めたのでした。


中学生になったころは思春期で、少しエッチなマンガや友達がこっそり持ってくるエロ本に興奮もしました。
手淫で射精を覚え、マンガやエロ本から得た知識で、女性と関係したいと思いました。
けど、何かが違うと感じました。
そして、いつしか割り箸で十字架をつくり、ミクロマンの人形を磔にして興奮するようになっていました。


高校生になると、ノーマルな初体験より先に、S女様と出会ってしまいました。
17歳のS女様は、私の身体を肉体改造なさいました。
嫉妬深いS女様で、私が他の女性と口をきいただけで激しく嫉妬し、その後、ふたりになった時、激しい責めを受けました。
私の下半身は常にパイパンにしておくことを強要され、ツルツルの下腹部に、そのS女様自らお名前をマジックで書き込み、所有者であることを明記し、責めが始まります。
時には我慢できないほどの快感責め、時には苦痛責め。
S女様に対してのみ、身体が反応するよう調教されました。
拘束されたままHビデオを見せられ、下半身がガン起ちすると、容赦なく硬くなった肉棒に鞭が振り下ろされました。
他の女性と口をきいた日には、全裸で柱に縛り付けられ、激しく鞭打たれました。
その後は決まって横にならされ、私の顔の上にS女様がしゃがみ込み、S女様のパイパンのアソコを舐めるように言われました。
S女様のアソコを舐めていると、S女様が私の肉棒を優しく扱き、射精させてくれました。
この繰り返しで、私はS女様にしか反応できなくなって行ったのでした。
そして、ある時、着衣のまま、両手を広げ、まるで十字架のように拘束され、自由を奪われた状況で、ゆっくりとズボンと、トランクスが下ろされ、下半身が露にされました。
その時、ミクロマンの人形を十字架に磔にして喜んでいた頃がよみがえり、私はこのS女様、美穂様のモノになる決心をしたのでした。


その後の人生で出会った女性たちは皆、S女様でした。
ノーマルな付き合いは出来ませんでした。
S女様の思うがまま、お好みのまま、私の肉体はS女様の所有物となりました。

S女様に抱きしめられたり、S女様を抱きしめたりなんて行為は一度もありませんでした。
お互いの唇を合わせることもありませんでした。
ただただ私は全裸となり、S女様に弄ばれる日々でした。
そのおかげで、女性に抱き着きたいとか、女性に抱きしめられたい、という感情はわかなくなりました。
ただただお美しいS女様の玩具にされ、ペットにされ、家畜にされ、奴隷にされることにのみ喜びを感じるように改造されてしまったのです。

セクシーな美女が私の隣に座り、私を誘惑してきても反応しない身体になってしまいました。
全裸にされ、体の自由を奪われた時、激しく身体が興奮するようになってしまいました。


S性に目覚めるなんて簡単です。
ビニールテープで相手を後ろ手に縛って、顔面に平手打ちを食らわせれば良いのです。
たった一撃で、無抵抗な相手の様子を目の当たりにし、S性が目覚めます。
オフ会とかでは必ずお持ち帰りされるような体格を持っている私ですが、ノーマルなんて出来ません。
会話でMであることをあらかじめ相手に教え、ホテルではその方のS性を呼び起こします。
呼び起こされた方が、私の女王様となってきたのでした。

 

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よろしければ、お話しませんか?

性別:男 40代 東京都在住
職業:平凡な会社員
身長:180.0㎝ 体重:89.0㎏
股下:90.0㎝  太股:63.0㎝
右腕:42.0㎝  腹まわり:95.0㎝
胸まわり:112.0㎝  鳩胸ガッシリ型 
Skype:m_skeet

若気のいたり M本さま②

どんなに経験を積んでも、付き合い始めた頃は相手がどんなプレイをするのか警戒(?)しながら、探りながらプレイするものです。
ですので、M本のおば様のご自宅に初めて食事に招かれた時のプレイは普通のものでした。ゴムを嵌めて挿し込んで…。

けど、密会を続けるうちにプレイが変わっていきました。
その都度、M本のおば様の気分でプレイが決まりました、って当たり前ですよね(笑)。けど、まだ10代だった私には新鮮な体験でした。

初めての時、「おばさん、毛が生えていないツルツルが大好きなの」とおっしゃられ、次にお会いする際、ツルツルにしていきました。その時はプレイに至りませんでしたが、お会いするときは必ず手入れをしてツルツルで行きました。

そんなある日、「欲しい」と言われ、言われるまま服を脱ぐとツルツル下半身が…。
それを見てスイッチが入ってしまったようです。

私がおば様の肉体を弄ることは許されず、ただ私の身体を玩具になさいました。
テーブルの上に寝かされ、私のツルツル下半身を玩具になさいました。

ご褒美と称し、ぐちょぐちょに濡れたアソコを舐めさせてくださいました。

東京の神田神保町のアダルトショップで浣腸器アナルプラグを買って持参すると、すぐさまこのおば様に肛門開発されてしまいました。
石鹸水を肛門から注入されアナルプラグを嵌められました。後ろ手に縛られ、下半身で暴れまわる浣腸液の苦しみに脂汗をかきながら耐える姿を、暖かいまなざしで、じっとご覧になっていました。
トイレで激しく放出する姿も楽しそうにご覧になっていました。便座に座らず、かがむ形で放出するのが見える姿勢で放出させられました。それをまじまじとご覧になっていました。
ご経験がある方なら分かるかと思いますが、脱糞した後の下半身は非常に過敏になり、かつ、ぐったりとしてしまいます。そんな私に首輪をつけ、部屋の中を引きずり回してくださいました。
そして、あおむけに横になる私の顔面にお座りになり、息に苦しみながら、おば様の下半身を舐めまわしました。
おば様は、私の下半身でガン立ちする肉棒をおしゃぶりになり、お口の中への射精をお許しくださいました。
ドクドクと放出する噴射口を舌先でチクチクと刺激なさり、下半身がふっとぶほどの快楽を与えられました。
人生で初めての肉体的快楽、享楽でした。

責めはエスカレートし、おば様は「こんな感じのを買ってきて」と言われる、言われるまま私はアダルトグッズを揃えました。当時、18~19歳だった私は、同世代の女性よりも40歳過ぎのおば様の責めに溺れてしまったのです。

もちろん、今でいう「不倫」です。
子どもに手がかからなくなり時間が出来たのに、旦那に相手にしてもらえずエッチなんぞもう十年以上ご無沙汰。
あまりに悲しすぎる人生だって始めたパートで私と出会ったそうです。
それが行き過ぎて、裸の私の身体でお遊びになるようになってしまった。
まだまだ性欲は衰えず、…って旦那はどうせ見えないところで、って開き直っていらっしゃいました。

そんな関係ですから、若い男の身体への責めは、想像を絶した創造でなされたようです。