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淑女たちの肉玩具

東京のM男です。 子どもの頃から女性たちの肉玩具にされ、Mの身体へと改造(調教)され、まともなS〇Xが出来ない身体になってしまいました…。S女様、痴女様を悦ばせるありとあらゆる調教を受け、性交せず肉体的快楽を求めるための玩具に改造されました。その過程への実体験をご覧ください。今後のMとしての妄想願望もアップしています。

エスカレート

幼〇体験というのは恐ろしいもので、それがたとえ屈辱的な体験であっても、快楽を感じてしまうと再びその世界へと戻りたくなるもののようです。

以前も書きましたが、私のM人生は、小〇生低学年の頃、近所の上級生のお姉さんたちに玩具にされたことから始まりました。
両親共働きの女の子の家に毎日のように呼び出され、パイパンの下半身を露出させられ、複数のお姉さんたちに玩具にされました。
両親のいない寂しさを、まるで私の下半身を玩具にすることで紛らわしているかのようでした。

名目は「お医者さんごっこ」なのですが、治療なんかしません。視診や触診ばかりで私のおちんちんをひたすら弄り続けるのです。時に玩具やガーゼを使って弄られましたが、下半身を露出させるなりぬれタオルで消毒され、あとはお姉さんたちの手で弄られっぱなしでした。そのうち私の下半身もズボンやパンツを下す前から肉棒がガン立ちするようになり、おりこうさんだと褒められる始末でした。

その頃はまだ子ども。乳首への関心よりも下半身の男性パーツに興味があるらしく、様々な反応を示す肉棒に喜んでいました。特に、皮を剥いた後のピンク色に輝く亀頭部が非常に敏感だということをお姉さんたちも気づいたようで、一度、気づいたらその後はその度ごとに包皮をめくられ、ピンク色の部分に刺激を与え、もだえ苦しむ私の姿に興奮していました。特に綿棒で先端部をなぞると、私が声を出して悶えるため、けらけらと笑いながら刺激を繰り返していました。
それに飽き足らず、責めはエスカレートして行きました。

カチンカチンになった男根を握るのに快感を覚えたお姉さんたちは、ギンギンに勃起した肉棒を指で弾いて遊ぶのが大好きでした。思い切り下に曲げ、玉袋を2つに割るように指で押し付けたかと思うとその指を外し、「ビンッ!」と立ち上がる肉棒を見て、キャッキャと喜んでいました。
ある時、図画工作で使う竹ひごを取り出すと、その竹ひごでガン立ちした肉棒を鞭打ち始めました。所詮は竹ひご、痛いようなくすぐったいような刺激に反応していると、他のお姉さんが20㎝のプラスチック定規を持ち出し、思い切りしなを作って折り曲げ、一気に指を外し、プラスチック定規が私のガン起ちした肉棒を打ち付けました!

「ぐあぁ!!」

さすがに悲鳴をあげてしまいました。
しかし、いつものように私の身体は畳の床に押し付けられ、身動き取れない状況でした。
その悲鳴がお姉様たちの心に火を灯し、続けざまにプラスチック定規で私の肉棒を打ち付け続けました。

「ははははは!赤くなってるぅ~!!」

真っ赤になった私の肉棒ペニスを見てお笑いになられるお姉さまたち。
しかしながらお医者さんごっこ、女性の優しさというか、冷たく濡らしたタオルで優しく私の肉棒を包み、握ってくださいました。

以後、その責めは「お仕置き」と名付けられました。

大人になっても、その頃の体験が忘れられず、さらにエスカレートする始末です。
今じゃ、プラスチック定規の代わりに1本鞭。
しかも、指定した回数、打たれるのを耐え続けられなければ、飲〇させられます。
それを直飲みで飲み干さないと、さらなるお仕置き…。

M人生は続きます。