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淑女たちの肉玩具

東京のM男です。 子どもの頃から女性たちの肉玩具にされ、Mの身体へと改造(調教)され、まともなS〇Xが出来ない身体になってしまいました…。S女様、痴女様を悦ばせるありとあらゆる調教を受け、性交せず肉体的快楽を求めるための玩具に改造されました。その過程への実体験をご覧ください。今後のMとしての妄想願望もアップしています。

過去ログ

17の告白 ⑩

若さに任せて欲望のままいろんなプレイをしました。
今の歳になって思えば、本当にゾッとするようなプレイでもあり、果てしない望郷の念を思い起こさせるようなプレイばかりでした。
以前、お話したとおり、私は高校時代の彼女にMとして肉体改造され、S女様でしか欲情しない身体になってしまいました。
特に、美穂様とお付き合いしている時は、美穂様の責めでしか下半身が元気にならない身体にされてしまいました。
今でこそ経済力もあり、さまざまなSMプレイができる環境にありますが、高校生にそんな余裕はありません。そこで、無い知恵を絞っていろいろな工夫をしました。
誰もいない放課後の部室で全裸になるというだけで、今考えれば怖いことですが、しかも、ビニールテープで拘束され、無防備な肉体を美穂様の自由にされるというだけでも浮世離れした状況でした。
その美穂様がお好みになったのは、白濁した液体の大噴射、でした。
初めての時のお話は依然したとおりです。
全裸で後ろ手に縛られ、先ずはローターを肛門から突っ込まれました。
そのローターは、美穂様が大学生の先輩からゲットしたとおっしゃっていました。
バイブとかではなかったので丸っこい楕円球の部分が肛門から押し込まれると、肛門が閉じ、リモコンのコードが出ている状況でした。そのコードの端のリモコンをぶら下げた格好で立たされました。
ローターのスイッチが入れられ、私の下半身内部でローターが暴れると、美穂様は、背後から回した手で、私の両乳房、両乳首を責めました。
その快楽に、みずみずしい17歳の肉体が耐えられるはずもありません。
すぐさまパイパンの肉棒はガン立ちになりました。
けど、美穂様は、ガン立ちした肉棒には一切、手を触れず、ただただ私の両乳首を責めました。
下半身のローターが休みなく直腸内を刺激し、ツンツンに立った乳首は美穂様の美しい指先で凌辱されました。
それでも、美穂様は、パイパンの肉棒には指一本触れません。
じらしに焦らされ、私はいつの間にか腰を突き出し、ガン立ちした肉棒を垂直に立てていました。
肛門と乳首責めだけで、もう限界だ、となりました。
「出ちゃいます!!」と激しく腰を突き出しました。
そこへすかさず、美穂様は、肉棒にプラスチック定規で一撃を加えました!
「ぎゃーーーーー!!」
激痛ですが、爆発寸前の肉棒に唯一与えられたその刺激に反応し、私のパイパンの肉棒は、まるで別の生き物のように、私の意志とは別に激しく上下に痙攣し、サーモンピンクの亀頭部の先端の穴から、白濁した液体を噴水のように激しくあたりにまき散らしたのです。
下半身を刺激しているローターのせいで、私の下半身は、完全に私のコントロールを離れ、その快感に、私はその場に膝をついてしまいました。
ぐったりと下を向いていると、すかさず美穂様は私の目の前に仁王立ちとなり、スカートをめくりました。
下はノーパン。
美穂様のアソコもパイパンに剃り上げていました。
「お舐め!」
言われるがまま、美穂様のアソコにむしゃぶりつくと、ぐしょぐしょに濡れていました。
美穂様は、私への責めで、こんなにも興奮して下さったのかと思うと、無上の悦びでした。
こんなことを繰り返すと、こんなMの身体になってしまうのです。








踏みつけ

後ろ手に縛られ、ガン立ちしたパイパンの肉棒を机の上に置くと、S女様がローファーのつま先で肉棒を踏みつけました。
悲鳴を上げると、S女様はつま先を動かし、グリグリと踏みつけになられました。
高校時代の放課後です。
机の上に立ったS女様のミニスカートの奥に白い下着が見えたとき、激しく射精してしまいました…。
S女様は、M男の快楽など考えず、思うがままに肉棒を支配なさるのです。
手コキだの寸止めだの、男に媚びることなどありません。

それが本物のM男にとって、最高の悦びなのです。


応援してください。

素晴らしいプレイ

海外のM男CBT(性器拷問)系動画はド迫力です。
S女様の容赦ない責め苦が動画になっています。

けど、リアル社会で私がS女様から受けた責め苦は、正に海外CBT系動画並でした。
思い出すだけで、悍ましく忌まわしい記憶…ではなく、下半身が暴れ出すような素敵な責め苦でした。
そう。
私は、こんな身体に改造されてしまったのです…。
べニア板の真ん中に丸い穴を空け、そこからガン起ちした肉棒を突き出し責め苦を受けたのは、高校時代の文化祭前後のことでした。
肉棒の付け根を縛られ、2つの玉の根元を針金で縛られて袋の中で一つにならないように完全に分割されて責められたのも青春時代からでした。
チャッ〇マンや蝋燭の火で肉棒を炙られて悲鳴を上げたのも、青春時代からでした。
初めて麻縄で全身を緊縛されて、身体を玩具にされたのも青春時代からでした。
そう。
わたしのようなM男パイパン肉棒を自由に出来ると認識したS女様の創造性は、男が考えるよりはるかに壮大で、己が欲望を満たす果てしない想いが、M男の心臓を鷲掴みにする、そんな素敵な女性ばかりでした。

コロナは去りました!
あの素晴らしいプレイを再び…。

応援してください。

17の告白 ⑨

オジサンとなった今ふりかえってみると、十代の性欲旺盛な頃の不純異性交遊は非常に不純、と言うより恐ろしいまでの奔放さだったと思います。
確かに、人に由るのでしょうが、私が出会った美穂様は別格で、性欲が男いじめへと偏っている女性でした。

当時、まだパソコン動画等なく、アダルトビデオかエロ本、エロ漫画から知識を得るくらいで、そこで学んだ美穂様は、それらを私の身体で実践なさったのです。
SM系のアダルトビデオで、全裸の熟女が天井から吊るされ、片足を持ち上げる形で縛られたSMビデオがありました。
私もその恰好で縛られたのです。
先ずは上半身を乳房絞りで縛られ、両手を頭の上で一つにされ、天井から吊るされたロープに繋げられました。つま先で起つほどまで吊り上げられたのです。
そして、右足の膝に麻縄が結ばれ、その麻縄を天井へと吊り上げられ、私は左足つま先でかろうじて立っている姿勢にされたのでした。
右足を大きく持ち上げ、下半身のパイパンの肉棒は完全に無防備、それどころか、肛門までさらけ出す格好となりました。

イメージ
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ビデオで学んだ美穂様は、ビデオの真似をし、私の背後から両腕を私の前に回し、乳房と乳首を刺激なさいました。
その快楽に耐えられず、下半身のパイパンの肉棒は即座にガン立ちとなったのです。
ここからがビデオと違うところです。
ビデオでは熟女。
熟女の乳房や乳首、股間をバイブで刺激し、濡れ濡れになったアソコを男が舐めまわすのですが、私はM女ではなくM男。股間にはグロテスクな肉棒と玉が2つついています。しかも、責めるのは真性のS女である美穂様。上半身の快感に酔うことなく、下半身でいきり立つ肉棒への地獄の責めが行われました。
まずはガン立ちした肉棒への鞭打ち。
鞭がなかったので、プラスチック定規で激しく打たれました。
必死に暴れて鞭を交わそうとする私の肉棒の位置が定まらないと、美穂様は、ガン立ちした仮性包茎の皮をめくり、亀頭のカリの部分を紐で縛り、その紐を力の限り引っ張って肉棒の位置を定め、プラスチック定規で鞭打ちました。
打たれるたび悲鳴を上げる私の反応に、美穂様は心底、悦びをお感じになられているようでした。

そして、鞭打ちで真っ赤になった肉棒を、カリに結んだ紐とは別に、さらに細い紐で私の肉棒と玉を縛り上げました。
勝手に発射しないようにと、肉棒の付け根は入念にぐるぐる巻きに縛られ、玉の付け根と2つの玉が分離した状態になるように、それぞれ付け根を力の限り縛りました。
こうなると、肉棒と玉は完全に私の身体から分離された感覚になります。
そんな肉棒に、今度は蝋燭が垂らされました。
悲鳴でのたうつ私の反応など無視し、蝋燭責めが続けられました。
亀頭の先から、情けない我慢汁が涙のように流れ落ちました。
それを見た美穂様は、しつけのなっていない穴を塞ぐと称し、プラモデルの改造で使う太めのプラ棒を、私の尿道口から挿し込んできたのです。
途中、カリを縛っている紐につかえたのを無理やり挿し込むことで、プラ棒を紐が締め付ける格好となり、抜け落ちることはありませんでした。

そして、その屈辱的な恰好の私の肉体を、美穂様は竹刀でビシビシと叩いたのでした。