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淑女たちの肉玩具

東京のM男です。 子どもの頃から女性たちの肉玩具にされ、Mの身体へと改造(調教)され、まともなS〇Xが出来ない身体になってしまいました…。S女様、痴女様を悦ばせるありとあらゆる調教を受け、性交せず肉体的快楽を求めるための玩具に改造されました。その過程への実体験をご覧ください。今後のMとしての妄想願望もアップしています。

2019年05月の記事

これもホストの形?

20代の頃は身体も締まり、顔もそこそこ(笑)でした。
骨格は欧米人並の鳩胸体形で、
身長182cm、体重も82㎏前後でした。
そんなM男がいろんな体験をさせていただきました。

20代はずっとフリーターで、いろんなアルバイトをしました。
そんなバイト先での出会いから経験したんですが、
その頃、初めて女性にも性欲があるのだと知りました。
お恥ずかしながら、それまで女性には性欲がないと勝手に思い込んでいました。

バイト先で知り合ったおば様がいらっしゃいました。
そのおば様は、中学校時代にクラスにいた、勉強は嫌いで猥談好き、エッチ好き、
クラスの男子のおち〇ち〇の大きさを友達同士、噂をするようなグループの女性だったようです。

バイト先の休憩室でも、私なんかとも猥談に花が咲き、
ファーストキスや恋愛、初エッチの話などで盛り上がっていました。
当然、人生の先輩であるおば様からもたくさんの「エロ話」を伺いました。

そんな状況下、飲み会の席で、酒が入った勢いで、つい自分のM性を話してしまいました。
思えばそれが餌食になるきっかけだったのだと思います。

おば様のお友達との旅行に参加させていただきました。
当然、頭の中が性欲だらけの年代ですから大きな期待を抱きながら
参加させていただきました。
けど、おば様たちは用意周到に準備なさっていらっしゃったのです。

宿屋に着いてほっと一息、温泉につかり夕飯の時間になると
宴が始まりました。
その夜、私は、おば様たちが普段から妄想の世界で望んでいながらも
できないようなプレイの対象とされたのでした。

温泉から戻るときは、下着をつけず浴衣一枚で帰ってくるよう言われていたのですが
帰るなり、パイパンであるかどうかの確認をされまいました。
それは普段バイト先で言っていたとおりの状態なのか、
要は、昔の侍の「首実検」ならぬ「ペニス実検」でした。

「オチンチンなんか見るの久しぶり~。」
「ごぶさただもんねぇ~。」

おば様たちが異様な盛り上がりをしながら
短小、仮性包茎、パイパンの「ペニス実検」が行われました。
当然、事の成り行きを期待していた私は、温泉でムダ毛を完全に処理していました。

そして「ペニス実検」と同時にテーブルの上の料理が綺麗に片づけられ
そのまま私は全裸にさせられ、テーブルの上に×の字に寝かされ
両手両足をテーブルの脚に縛り付けられました。
いわゆる「女体盛り」ならぬ「男体盛り」です。
私の全身の凹凸に合わせ、料理が盛りつけられていきました。
緊張で縮こまっているアソコも、丹念に料理が盛りつけられました。

複数のおば様に自分のアソコを見られること自体は、小学生の頃、全身を抑えつけられておちんちんを弄られてMになった私にってそれほど抵抗なかったのですが、テーブルの上の料理にされるという状況では、恥ずかしすぎてどなたの顔もまともに見られませんでした。
それを察してくださったのか、顔の上にガーゼのハンカチがのせてくださいました。
しかし、それは誤りでした。
ただただ、私の肉体をモノとして扱うため、顔をふさいだというところでした。

「とりあえず乾杯しましょ。」

宴会が始まりました。

「男の子のおちんちんを見ながら宴会できるなんて、最高ね!」

こんな話をしながら宴が始まりました。
お話の内容は、もっぱらおば様たちの青春時代のお話でした。
おば様たちは今でいうと「ヤンキー」でしょうか。昔でいう「スケバン」だったようで、
堅気の私からすれば文字通り玉も縮こまるほどの恐ろしい話をなさっていました。
敵対グループとの喧嘩で勝った後の負けたグループのスケバンたちに対する残虐な仕打ち、
剃刀でずたずたに女の子の顔に傷をつけた話など、
聞いているだけで恐ろしい限りでした。

そんな中、一人のおば様が私の股間に手を伸ばし、端でちんぽを摘まみ上げました。;
すると、キャーキャー黄色い歓声をあげながら、皆さん、次々とペニスに箸を伸ばして来ました。

お酒も入り、羽目を外し始めた元スケバンのおば様たちの暴走が始まりました。

「食べるものもなくなってきたし、最後はこれを食べるしかないわね」

そんなことを言いながら私の肉棒を箸で摘まみ、しょうゆをつけて口に含みました。

「うっ!」

思わず反応してしまいます。
私の肉棒はおばさんの口の中で吸われ舌で転がされました。

「ここの料理より、これが一番、おいしいわ!」

おば様たちは入れ替わり立ち代わりペニスをお口に含まれました。

「ねえ、さっきより大きくなってない?」

M男の私がこのような状況に反応しないはずなく、既にパイパン短小ちんぽは天井に向かってそそり起ってしまいました。
そんなちんぽをおば様たちはしごき、亀頭や尿道口を弄り、やがては両乳首にまで吸い付き、自由を奪われた私の身体を弄びました。

カッチンカッチンに硬くなりました。
おば様たちは次々と私の肉棒を握り、しごき、硬さ加減をお確かめになりました。

「発射が見たいわ!」
「発射するとこ写真撮ろ!」

そういうなり、ひとりのおば様が私のペニスをしごき始めました。
私はこの宿屋の料理ではなく、このおば様たちの玩具でしかありません。
悲しいことに私のペニスは痛いほど勃起し、爆発寸前になっていました。

そして、おば様たちの見ている目の前で、射精してしまいました…。

おば様たちは大喜びでした。

「若いわね。こんなとこまで飛んでるよ。」
「いいもの見せてもらったねぇ。」

私は大の字に固定されたまま、射精するところをまじまじと見られてしまいました。

しかし、この儀式は、始まりに過ぎなかったのです。

おば様の玩具

女性、特に、少女を玩具にするという状況はたくさんあります。

でも、私の場合、少年が玩具にされるという状況でした。
今でこそ、中年女性と10代の若者との関係が問題視されるようになりましたが
昔はそれほど騒がれなかったような気がします。
私自身、十代後半の好奇心、性欲ともに旺盛だった年頃では、それが問題であるとまで考えられませんでしたし、
快楽の世界に身を委ねてしまいました。
今思うと、それが後の人生を左右してしまうとは思いもよらなかったことですが…。

ファーストフードでアルバイトしていた時、知り合った女性。
何でも素直に言うことを聞いてしまう私の性格から、とても可愛がってもらいました。
けど、それがプライベートになると、いささか度が過ぎてしまったと反省してしまいます。


初体験は高校の後輩でしたが、本物の悦楽を教えてくださったのは、このおば様でした。


未成年である私はお酒などは入りませんでしたが、雰囲気的に誘われているのが分かり、そのままホテルへ行きました。
若者が利用するラブホテルのような場所ではなく、普通のホテルといった感じでした。
そこではるか年上の女性と関係しました。
ごくごく普通の、ノーマルな肉体関係でしたが、そこで私自身の性癖を見抜かれてしまいました。
「ペット」だの「玩具」だのと呼ばれ、次に会う約束をさせられました。
そして、アブノーマルな世界へと導かれたのでした。


ご自宅のマンションに誘われるなり、全裸になることを強要されました。
2人で部屋にいる間は常に全裸でいることを強要されました。
また、股間の肉棒も、おば様の命令によっておっ起てておくように言われました。
常に発情した犬であることを強要されました。

まずは掃除です。
別に汚れていない清潔なお部屋だったのですが、若い10代の男が全裸で部屋掃除する様をご堪能になりたかったのだと思います。
私は言われるまま股間のものを勃起させ、部屋掃除を行いました。
けど、男性なら知っているとおり、何か作業をして意識がそれるとすぐさま勃起は萎えてしまいます。
萎えさせるたび、お尻に蹴りが飛びました。

それでも無理というものです。
仕舞には、フル勃起状態にさせられ、肉棒の付け根をギチギチにタコ糸で縛られ、萎えないようにさせられました。
けど、やはり萎えてしまいます。
萎えても付け根を縛られている関係から、血液が逆流せず、根元から先はパンパンに膨張した状態でだらりと垂れ下がっていました。
自分のペニスがどうにかなってしまうんじゃないかと心配するほどでした。
それでも、部屋掃除をさせられ、掃除が甘い!とお叱りになられました。

掃除の甘さの罰として、ハタキの柄の部分を肛門に挿し込まれました。
両手を床につき、膝を伸ばしてお尻を高々と掲げ、おば様の目の前に晒された肛門に、ハタキの柄が差し込まれました。
コンドームを柄の先に被せて肛門に挿し込んだため、スルスルとハタキの柄が私の身体に入ってきました。
肛門に力を入れ、それを吐き出さないよう命令され、今度は台所の皿洗いをさせられました。

何と無様な格好でしょう。
叱り飛ばされながら、全裸で皿洗いをしました。
股間の肉棒は、血液が逆流せず、膨張したままだらりと垂れ下がり、肛門からはハタキが生え、時々、おば様の命令で、お尻を振るように言われました。

皿洗いが終わると、ビニールテープで両腕を後ろ手に縛られました。
すると、今度は両乳首に洗濯ばさみが挟まれました。

可愛い、可愛いと褒めてくださるおば様のためなら何でもしよう!
そんな気持ちで必死でした。

冷たく、膨張したままだらりと垂れ下がっていた肉棒の付け根のタコ糸が外されました。
すると今度は、私の皮冠りの皮を先端までぎゅっと包み、大型クリップで先端を挟んで塞いでしまいました。
両手は後ろ手に縛られており、自分の肉棒に施される責めを振り払う術はありません。

口づけをされ、舌を突っ込まれ、涎を垂らしながら口の中をぐちゃぐちゃにされると、すぐさま肉棒が膨張を始めます。
しかし、大型クリップで先端をふさがれている肉棒は、皮の中で膨張するしかありません。
そんな様子も、可愛い、可愛いとおっしゃってくださいました。

しかし、肛門に挟んでいたハタキが外れてしまうと、おば様の態度が豹変しました。
大型クリップで先端をふさがれながらもカチンカチンになった私の肉棒を力の限り握り潰し、引っ張り上げたのです。

あまりの恐怖に許しを乞うほかありませんでした。

おば様のお怒りが終わると、そのままベッドへと連れていかれました。
両乳首の洗濯ばさみは外されましたが、後ろ手に縛られたままの姿勢でベッドへと寝かされ、後はおば様の玩具でした。
全身を弄りまわされ、カチンカチンにおっ起った肉棒を貪欲に貪っていらっしゃいました。


この快楽に、10代の若造が耐えられるわけはありません。
その後、何度もおば様に身体を委ね、自由にしていただきました。
乳首が敏感なのも、おば様に由るところだと思います。


Mとしての肉体へと改造された日々でした。

M男の隠れ家

新宿からロマンスカーで1本。
去年か一昨年あたり、ダイヤ改正で特急電車が止まるようになった神奈川県某所の駅前、とても開けていて遊びに買い物に、楽しい街です。
ふらりとその町へ行って、ちょっと離れた所にある温泉付きのビジネスホテルに泊まるのが、最近の楽しみになっています。

1500からチェックイン。
1500直前だと早めにチェックインさせてくれたりします。
部屋に入るなり、すぐに(人工)温泉へ。
大浴場には私1人。
もちろん、温泉や銭湯のマナーを守り、プールのような大きなお風呂で両手両足を伸ばし、ゆっくりくつろぎます。

それが今の楽しみです。

ビジネスホテルらしく、髭剃り、シェービングクリームなど自由に使え、人目を気にせずムダ毛処理。
アソコもピカピカ、パイパンに剃り上げ自室に戻り、妄想の世界へ。
自室では常に裸族です。
解放感に浸りながら、ビールを飲んで一息。
仮眠をとって酔いが醒めた頃、真夜中に再び温泉へ。
ゆっくり浸った後、自室で2回戦目。
持ってきたアイテムで自縛自撮り…。

この部屋にS女様がいらしたらどんなに楽しいか…。

毎回毎回そんなことを考えながら、ストレス解消をしています。

心のもやもや

思春期の頃は、勉強のための鉛筆よりもち〇こを握る方が多く、男女問わず友達と猥談を交わせたけど、大人になるとそういう機会ってめっきりなくなりますよね?
既婚者も新婚の頃は激しく〇〇〇しまくってても、時がたてばご無沙汰に…。
私は既婚者ではありませんが、同棲やら歳、相応の体験はあるのですが、最近では…。
ハプバーにでも行く時間があればいいのですがなかなか。

仕事や家庭のストレス、もやもやが頭の中に渦巻いて、なかなか気分転換ができない時、ふとSNSでそんな思春期の頃のような猥談でスッキリしたい、そんな思いをお持ちの女性もいらっしゃると思います。

東京のM男です。
私でよろしければ、お話ししませんか?
別に本番を迫ったりなんてしません。
頭の中が、心の中が、もやもやに支配されたとき、憂さ晴らししていただければ幸いです。

ご連絡、お待ちしております。



mail : skeet@hotmail.co.jp
Skype : m_skeet

焼き鳥

大ベテランのS女様と出会い、いろいろなことを教えていただきました。
「自分の快楽を求めるのではなく、S女様のお望みのまま責めを受け、それに耐えることに悦びを感じるのがM男の本性」
とおっしゃられた時は、完全に私がそうであることを気づかされました。
また、Skypeのカメラを通してお話した時、全裸になって身体を見せるよう強要されましたが、
それ以上の行為をする必要はないと言われました。
理由は、
「緊縛されたり拘束されたりした状態で、自分からすれば不本意な責め苦を受けることに快楽を得るのがMの本性」
というお話で、そのとおりだとも思いました。
Skypeや昔流行ったヤフーチャットのカメラの前で、S女様の命令をこなしていてもいまいちでした。
心の中では必死に「S女様のため」と言い聞かせながら、肉棒に火を点けたり、蝋燭を垂らしたりしましたが、
それらすべて「自分でやった」ので、本当の快楽は得られませんでした。
Mへ進むきっかけとなった、少年時代のお医者さんごっこを振り返れば、それは明らかでした。

Mの本性が暴かれるのは、やはり、S女様からの直接的な働きかけでしかありえませんでした。

オフ会などに参加すると、それが明らかになります。
居酒屋ですらプレイが始まります。
お酒の回ったS女様が私の股間をまさぐり始め、硬くなるなりズボンを下され、そそり立つ仮性包茎の皮をズルリとひん剥かれ、
焼酎で申し訳程度の消毒をした焼き鳥の串を、涙(我慢汁)を流す尿道口からズブズブと差し込まれます!
『どこまで入るかしら?』
とか言いながら、短い竿の根元まで差し込まれ、グリグリと回転されたり出し入れされたり…。
その苦痛に悲鳴をあげますが、それがM男として最高の快楽なのです。

ノーマルの方には、なかなかご理解いただけない世界なんだと、私もよく分かっています。
それでも、普段、彼氏や旦那さんには決してできないプレイをなさることで
憂さ晴らししていただいています。


本物の人間便器

10代の頃は、自分でいうのも何ですが、いわゆる「可愛い男の子」として通っていました。
身体が大きい分、損をしたりもしましたが、それでも私がMであると見抜いた異性の先輩やクラスメイトから虐められた経験がありました。
特に、性的な虐めはM性を一生ものにさせたのでしょう。


スレンダーな女性、めちゃめちゃ美人の女の子、初体験は済ませていたのですが、その女性からは別の初体験をさせられました。

高校の一室で、校舎のはずれにある誰もいない部室で、いきなり抱きつかれ、口づけをかわしました。
思春期真っ盛りの年頃、後のことなど考えず口吸いをしていると、彼女の方から強引に関係を迫られました。
関係?
いいえ。
私が彼女の玩具になることを要求されたのです。

ビニールテープで後ろ手に縛られ、彼女の目の前に正座させられました。
大男に襲われたら怖いという理由でした。
縛られることに何の抵抗もためらいもなく縛られてしまったのですが
縛られて私の全身は恐怖に包まれました。

正座をした私の目の前に彼女が仁王立ちになると、目の前でスカートをめくりあげ、純白の下着を私の目の前に晒しました。
生唾を飲み込み、今にもむしゃぶりつこうとしていたその時、耳を疑いました。

「ちゃんと残さずすべて飲み干すのよ!」

すぐに悟りました。
彼女はゆっくりと純白の下着を下すと、その向こうには、パイパンに剃り上げたアソコが輝いていました。
ツルツルのお〇んこを両手で広げると、私の眼前に押し付けてきました。

「口を開けて。」

言われるままに口を開けると、そのまま彼女のパイパンま〇こに近づけました。
しばらくすると、彼女の尿道口から、黄金の液体が放出されました。

ここは部室です。
こぼして床を汚すわけにもいかず、彼女のアソコに直に口をつけ、私の口内に放〇される液体を必死に飲み込みました。
ゴクゴクと喉を鳴らし、彼女の放〇が終わるまで飲み続けました。

視線をあげると、無表情で私を見つめる彼女の眼と視線が合いました。
舌先で尿道口を確認しながら、放出される彼女のお〇っこを必死に飲み込みました。

「綺麗にして。」

〇尿が終わると、彼女はそう言って、私に舌でアソコを綺麗に舐めるよう言いました。

ただそれだけでした。
縛られた両手は解放されても、それ以上の行為はありませんでした。
もちろん、私の下半身はカチンカチンにいきり起っていましたが、それを彼女が慰めてくれることはありませんでした。


それ以降、私は彼女の便器になりました。
当時、付き合っていたノーマルな彼女がいたのですが、そのスレンダーな女の子は私を便器として扱いました。
廊下で出会い、視線が合うと、その瞳で合図してきました。
その合図は、放課後、どこか人気のないところで彼女の放〇を受け止め、舌でアソコに奉仕することへの命令でした。
校舎裏の木陰で〇尿を受け止めたこともありました。
プールサイドの更衣室で放〇を受け止めることもありました。
縛られたのは最初の一回でした。以降、抵抗せず飲〇する私の態度に安心したようです。
2人とも服を着たまま、私が正座をして彼女のスカートの中に頭を突っ込んで
下着を膝まで降ろしてパイパンのアソコに直接口をつけて…。
彼女のアソコは常に剃毛してあり、そのツルツル幼〇のようなマ〇コから放出される尿を口で受け止め、胃の中へ流し込みました。
脅迫されたわけでもなく、エッチするわけでもなく、ただただ彼女の放〇を口で受け止め飲み込むだけの存在でした。
それでも、こんなに綺麗な彼女のアソコを舐めることができると考えただけで幸せでした。

青春期とは恐ろしいものです。

1度、鎌倉までデートしたことがありました。
しかし、それはデートではなく、携帯用トイレを連れて行ったようなものでした。
彼女が尿意をもよおしたとき、常に口で受け止めさせられました。

「どこでしようか?」

こんなことを言いながら、誰もいない場所を探しては、彼女が立ったまま放出する尿を飲まされました。
私は彼女のアソコを舐めることができるだけで幸せでした。
当然、家に帰ればそれをおかずにち〇こをしごいて射精してました。

スレンダーで美しい顔立ちの女性、瞳に冷酷さをたたえながら自らの尿をM男に飲ませる女の子…。
今はどこで何をなさっているのでしょうか。



ご意見・ご感想をお待ち申し上げております。
devu_houkei@yahoo.co.jp

S女様への覚醒

オフ会でM女様と出会いました。
町田のとある個室居酒屋で6人。

以前、書いたかもしれませんが、私、オフ会では『お持ち帰りする』方ではなく、『お持ち帰りされる』方が多いんです、というより、お持ち帰りするほどの度胸もありませんし、口説き文句も知りません。ただただ女性の話を聞いて興奮する側にいます。
そんな猥談を散々した後、他のメンバーが会計を済ましているのを置いて外へ出ると、私自身の股間はビンビンだった熱が覚めずにいます。それは女性の方も同じようで、猥談で濡れまくり、火照った身体をどうすることもできずにいます。
そんな時、ちょっとでも相手の身体に触れようものなら、すぐさま抱き着かれ激しいキスを始めてしまいます。
こうなったら、女性に従うしかありません。

トイレ、会計を済ませて出てきたメンバーと別れると、自称、M女様と腕を組み、ホテルへ行きました。

部屋に入った途端、もう止まりません。
激しく求めあい、服を脱いでシャワールームへ。
はじめのうちはノーマルに身体を求めあいました。
私は彼女の股間に顔を埋め、自称M女様のパイパンの割れ目に舌を突っ込んで、激しく密ツボをかき回しました。
彼女は私の硬くなった股間の肉棒を求め、私のパイパンの股間に顔を埋めました。

けど…、やはりオフ会のテーマがテーマだったので、すぐさまそっち系のプレイに向かいました。
でも、2人ともMです。
妙な気分です。
私が彼女に膝まづいて足先を舐めても嫌がるばかり。
私は彼女を責めたくても、やったことがありません。

そのまましばらくはぎくしゃくしたプレイが続きました。

そんな時、ふと持ち込んでいたイタズラ用の電気棒を彼女に押し当て、電撃責をくらわしました。
すると彼女は驚き、今までされたことのない責めに抵抗感を感じると同時にイラっと来て、怒りとともに私から奪った電気棒を私の身体にめちゃくちゃにあて、電撃をくらわし始めました。
悲鳴を嫌がり、電撃棒から逃れようとする私の姿に目覚めたのか、逃げないようきつく命令してきました。
そして、股間を開くよう命令なさいました。
それだけは勘弁してほしいと懇願すると、激怒なさいました。

「オマエ、自分がM男だって言ったでしょ?縛ってあげるから手を後ろに組みなさい!」

そう命じられると、命じられるままに手を後ろに組み、M女様が私をネクタイで後ろ手に縛りました。
そして、その場に立たせました。

「そのまま足を開いて起ちなさい。そして、そのままの姿勢を決して崩さないこと!」

そうおっしゃると、化粧台の前の丸椅子を私の目の前に持ってきてお座りになり、ガン起ちする私のパイパンの肉棒に電撃棒をおあてになられたのでした。

容赦なくガン起ちしたパイパンの肉棒に電撃がお見舞いされます。
姿勢を崩して倒れかかると、すぐさまM女様の蹴りが飛びます。
必死に逆V字に足を開いた格好で立っている姿勢を維持します。
肉棒には上下左右、先端の亀頭部にも電撃がお見舞いされます。

悲鳴を上げ、苦しみもがく姿に、M女様は、完全にS女さまへと覚醒なさったのでした。



無抵抗の相手、特に、縛られたりしている相手を見下ろし、何でもしていい、となると、人間はS性に目覚める生き物だって、どこかで聞いたことがあります。
かくいう私も、Mとして開発されてしまいましたが、S性を出す場面もちらほら、というより、目の前に拘束された女性がいたら、いろいろやっちゃいたくなるのは当然というもの。

その後しばらくそのS女に覚醒したM女様と関係が続きました。
1度はSMホテルで完全拘束され、無防備にさらされた股間を徹底的に責められました。

M女じゃないじゃん…。

その話はまたの機会にアップしたいと思います。