カミングアウト 04
夢精したのは覚えていません。
けど、初めて自分で出したのは覚えています。
中学生の時でした。
テレビを見ながら下半身を弄っているうちに、なんだか気持ちが良くなって、エスカレートしたその時に、激しい快感を感じました。
おしっこのように出てくる白いものを、必死に我慢したのに出してしまいました。
以後、それが意味することを知りました。
高校時代のS女、美穂様は、ただただ私の白い液体を発射させるのがお好きだったようです。
それも、自らの支配下の下で私を肉塊として扱い、その肉塊から放出させるのがお好きだったようです。
大人の玩具なんて買える年齢ではなかったので、身の回りにあるものが責め具となりました。
そして、近くのホームセンターで色々な材料を揃え、それで責め具を作りました。
バラ鞭なんてのも、ホームセンターで買ったレザークラフト用の皮を細く帯状に切り、ひとつにまとめて作りました。
私を縛る縄も、SM用の麻縄ではなく、毛羽毛羽でチクチクする本物の麻縄でした。
蝋燭は、東急ハ〇ズのパーティーコーナーで売っている、ぶっ太い蝋燭を購入しました。
さらに、ド〇フターズのコントに、寝ている相手を起こすのに、紐をつけた洗濯ばさみを沢山顔に挟み、紐尻をひとつにつかんで一気に引きちぎるというのがありました。
それを見た美穂様が、同様のモノを作るようにおっしゃいました。
そして、それを私のパイパンペニスに行いました。
17歳の私の肉体は、美穂様の管理下にあり、完全に美穂様の玩具となっていました。
美穂様は、私のパイパン肉棒がガン起ちすると、とにかくいろいろな刺激を与えて私の反応を見るのがお好きのようでした。
私の肉体の1パーツである肉棒は、美穂様の玩具でした。
それでも、決してドッキングすることはありませんでした。
ただただ美穂様の玩具でした。
勝手に萎えさせれば、洗濯ばさみの罰を受けました。
勝手に勃起させても、洗濯ばさみの罰を受けました。
浣腸は一度だけされたことがありました。
それはエロ小説か何かに、プレイの最初に浣腸プレイをすると下半身が敏感になる、と書いてあったのを試した感じでした。
けど、やはり2人とも、『大』の方は苦手でした。
代わりに美穂様の『小』は、私の細胞の隅々まで美穂様が支配なさるという意識で飲まされました。
『小』を飲むなど汚くて考えられなかったのが、美穂様にMとして調教され、美穂様のパイパンの割れ目に直接口をつける瞬間が、至福の時となりました。
休みの日に部室に呼ばれ、拷問されることが何度もありました。
部室は校舎からかなり離れたところにあり、誰もいないところで2人だけになれる空間でした。
念のために窓と入り口のカギをしっかりかけて拷問を受けました。
トランクス1枚になった私の両手首をひとつに縛り、部室の天井にある梁の部分に縄尻を通し、頭の上で両手首をひとつにする格好に吊り下げられました。
しばらくその姿勢を観察なさると、おもむろに手製のバラ鞭で私を叩きました。
鞭で叩いた後、美穂様は、ゆっくりとトランクスを下ろして行かれます。
この時の恥ずかしさが、私の心に焼き付きました。
はじめの頃は、鞭で打たれる緊張と恐怖感でいっぱいでしたが、その後、何日も繰り返されるうちに、バラ鞭で叩かれるだけで、パイパンの肉棒が勃起するようになりました。むち打ちの後の羞恥責め、快楽責めを身体が覚えてしまったようです。
こうして、私の肉体は、正真正銘の『マゾ』として調教されて行きました。
女性の本性と言いますか、美穂様を通して感じたのは、女性の性への執着でした。
まぁ、男性の私自身、女性の下半身に興味を持つのですから、女性が男性の下半身に興味を持ち、自分のモノにしたくなるというのも理解できます。
私も、初体験の時は、女性のアソコにめちゃめちゃ執着しました。
同様に、美穂様は私のアレ、パイパンで仮性包茎の肉棒に執着なさったのでした。