2ntブログ

淑女たちの肉玩具

東京のM男です。 子どもの頃から女性たちの肉玩具にされ、Mの身体へと改造(調教)され、まともなS〇Xが出来ない身体になってしまいました…。S女様、痴女様を悦ばせるありとあらゆる調教を受け、性交せず肉体的快楽を求めるための玩具に改造されました。その過程への実体験をご覧ください。今後のMとしての妄想願望もアップしています。

O主任

20代の頃です。
職場のO主任が妊娠なさいました。
仕事柄、女性の方が多い職場で、ちょくちょく産休をおとりになってしばらくいらっしゃらない方も普通にいました。
そのO主任の番でした。
出産なさった女性って胸が張って苦しいなんて聞いたこともありますが、男の私には理解できません。
母乳が出るってんで母乳でお子さんを育てているらしいのですが、その乳房が張ってしまうとかで、職場で『乳搾り』をしてらっしゃいました。
それで、自分の胸を揉んで搾りだすのが大変で、手が痛くて痛くてたまらないって、日頃から口にしていました。

そんなある日、休憩室でO主任が『乳搾り』をしているのを知らず、ノックもせずに入ってしまいました。
言い訳をするなら、普段『乳搾り』の最中にはドアに『使用中』の札がかかっているのですが、当然、なかったのです。

扉を開けて入ると、上半身裸で背中を向けていたO主任が真顔で振り返り、私と目があい、2人とも固まってしまいました。
ゆっくり出ようとするO主任が
「待ちなさい!こっち来て」
躊躇いますよね、普通。
それでも下っ端で雑用ばかりやらされてきた私です。
どぎまぎしながらも、O主任に近づきました。
「手が痛くて我慢できないの。あなたが絞り出して。」
そうおっしゃられました。
「いや、あの…」
躊躇いますよね、普通。
「乳房が張って、硬くなって苦しいの。母乳を絞り出して」
もじもじしながら
「そんなことしたら、私のが硬くなっちゃいます」
と、KYな冗談を言うと
「さっさとなさい!」
いつもの厳しい口調が飛んできました。

ドアの外に使用中の札をかけてO主任に近づきました。
胸が大きく、日頃からセクシャルな感情を抱いていたO主任の胸、大きさに比べ垂れ下がることもなくはち切れんばかりに膨らんでいました。
出産後の女性の胸なんて見たこともなければ触ったこともなかった歳頃です。
目にしただけで下半身の肉棒がカチンカチンにそそり起っているのが分かりました。

自分で胸を揉み、乳首から母乳が絞り出されるのをプラカップで受け止め、やりかたを教えてくれました。
その要領で、私はO様の背後から乳房に手を回す形で胸を掴みました。
「乳搾りなんだから、変なこと考えないでね。」
考えないはずありません。
胸を揉んで乳首から母乳を絞り出そうとします。
けど、想像以上に硬いんですよね、おっぱい!
出産後の女性の胸ってこんなもんかと思いました。
苦労しながら叱られて、何とかOさんの母乳を搾りだすことに成功しました。

搾りだした母乳は、手のひらサイズのビニールに入れて口をマジックテープで閉じて、冷凍庫で凍らせてお持ち帰りになっています。
そのビニールに入る程度の量を何とか搾りだしました。

本当に手が痛くなる大変な作業だと、感想を漏らしていると。
「ありがとう。女って大変でしょ?」
まだ乳房に残っている母乳を搾りだすと
「ビニールに入りきらないから、飲んで」
と言われました。
言われるままに飲み干し、感想を言うと
「まだ残ってるの。カップで飲むより直接の見たいでしょ?飲みなさい。」
これまで職場の関係として理性で押し殺して来た感情が爆発してしまいました。
ドキドキしながらOさんの乳首にゆっくりとしゃぶりつきました。
「すってごらん。」
吸ってみると、母乳が口の中に広がりました。
口を押し付け、O主任の乳房を潰し、むしゃぶりつくように吸い付き、残りの母乳を飲みました。

すると、O主任の手が私の股間に伸びてきました。
「あんたのも出してあげる」
そういうと、ズボンのチャックを降ろし、中からカチンカチンになった私の肉棒が飛び出しました。
抵抗もせず、されるままでO主任の乳房をむしゃぶり続けていると、O主任が私の肉棒を強く握りしめました。
「うふふ。思ったとおり。オマエはMだったのね。」
常日頃、パイパンにしてある私の下半身にお触れになり、私の本性を見抜いてらっしゃいました。

それ以後、私は「オマエ」、O主任は「O様」になり、O様が私を道具としてお使いになる日がしばらく続いたのでした。





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