Mの始まり
小〇学校低学年の頃でした。
近所に住む小学5・6年生のお姉さんたちと、時々、お医者さんごっこをして遊びました。
お姉さんたちはいつもお医者さんで、私は患者さんでした。
時々、男の子も交じりましたが、大抵はお姉さん3~5人に診察されました。
当然、子どもたちのお医者さんごっこですから、治療対象は性器でした。
性器、というより、私のおち〇ち〇でした。
小〇校低学年の男の子のお〇ん〇んは、もちろん毛など生えておらず、包茎のおち〇ち〇です。
けど、立派に勃起する性器で、お姉さんに限らず、男の子に弄られても硬くなってしまいます。
そんなお〇ん〇んがお医者さんごっこの玩具にされました。
他に患者となるお友達もいましたが、私自身の性格から、他人の性器は見たくても、手を触れることなど恥ずかしくてできませんでした。
けど、子ども心に仲間外れにされたくなくて、患者役を決めるとき、誰も名乗り出ず、仕方なく私が患者さんの役を名乗り出ていました。
そして、いつしか私が患者で他のお友達がお医者さんと、役回りが決まるようになり、そのうち男の子たちがいないところでお姉さんたちに私が診察されるのがお医者さんごっこになりました。
初めの頃の診察は、ただの触診、視診で、水にぬらしたティッシュでいろいろな部分を拭いたりしていました。
恐る恐る包茎を剥いてみたりしていました。
硬くなった肉棒にゴムを巻き付けられたり、タコ糸で縛られた記憶もありました。
未だ射精など経験したことがないおち〇ち〇を玩具にされていました。
しかし、そのうちお医者さんごっこがエスカレートしていきました。
ある時、いつものようにお医者さんごっこがはじまりました。
私はいつものように畳の部屋の床に横たわり、目を閉じて診察が始まるのを待ちました。
3~4人のお姉さんたちに囲まれ、ベルトが外され、ズボンとブリーフをずり下されました。
着衣のまま、ズボンとブリーフが膝までずり下され、無毛の股間が露になりました。
そして、いつもの触診から始まりました。
とっかえひっかえ手が伸びてきて弄りまわされているうちに、肉棒はすぐに硬くなってしまいます。
性器に興味がある年ごろとはいえ、まだ口に含んでちゅうちゅうと吸い付くような年齢ではありません。
自分の股間には付いていない男性の肉体に装着されている部品を興味本位に弄る程度でした。
ところが、あるお姉さんが「薬を塗らなきゃいけない」と言い出すと、別のお姉さんが硬くなった肉棒を握りしめ、一気に私の皮を剥きました。
皮が下され、表出したサーモンピンクの亀頭部が露出すると、そこへすかさず「ウ〇コーワ」が塗られたのです!
私「ぎゃーーー!!」
おち〇ち〇の先端に激痛が走りました。
目から星が出るような激痛が走りました!
小〇校低学年の男の子のお〇ん〇んの亀頭部など、全身で最も敏感で発達前の亀頭部です!
そこに刺激の強い湿布薬、それも液体状の湿布薬「ウナ〇ーワ」が塗布されたのです!!
一瞬で勃起は萎え、私は畳の上で海老状に腰を曲げ、股間を抑えて悲鳴をあげながらのたうち回りました。
あまりの反応で、お姉さんたちもビビったんだと思います。
甲高い笑い声をあげながらも、畳の上でのたうつ私を、何もせずに見下ろしていました。
海老状に腰を曲げて畳の上を転がりながらも、必死に亀頭部をマッサージして薬を拭き取ろうとしていました。
そして、その日の診察はそれで終わりました…。
数日の間、お姉さんたちは私の様子を観察していました。
しかし、いくら激痛が走ってのたうち回ったとはいえ、敏感な部分にウ〇コーワを塗られただけで、要は、傷口に塩のような刺激物が触れたようなものでした。
次の日、どころか、しばらくすれば激痛は収まり、何事もなかったようにもとにもどります。
それに安心したのか、再びお医者さんごっこに招かれました。
もう二度と、あんな真似はしないことを約束され、再び私は畳の上に横たわらせられました。
お姉さんたち「もう治ったかなぁ~?」
とか言いながら、いつものように私のズボンとブリーフをずり下しました。
すべて脱がすのではなく、いつも膝の上までずり下し、露になるのは臍の下から太腿あたりまでです。
その状態を見て、大人の女性なら、私のツルツルち〇ぽに吸い付いてくださるのでしょうが、お姉さんたちは、いつものようにズボンをずり下したのですが、この日は、ズボンもブリーフもすべて足の先から脱がされ、下半身で身に着けているのはソックスだけにされてしまいました。
お姉さんたち「今日はもっと治療します!」
とかなんとか言い聞かせながら下半身を裸にすると、両足をVの字に開かされ、その両足首の上に他のお姉さんが股がって抑えつけたのです。
一抹の恐怖を感じながらも、下半身を弄られていると、肉棒はすぐさま硬くなりました。
すると、今度は、お姉さんの中でもっとも体格の良いお姉さんが私の胸の上に馬乗りになりました。
両足首にそれぞれお姉さんが乗っかって足を抑え、胸の上に一番大きなお姉さんが馬乗りになって私の身体を抑え、身動きができなくなってしまいました。
その瞬間、何をされるのか恐ろしくなり、許しを乞いました。
私「やめて!やめて!」
私の懇願など完全無視でした。
そして、思った通り、今再び、私の先端の皮がズルリと剥き下ろされ、ウナ〇ーワが塗られたのです。
私「ぎゃーーーー!!!」
悲鳴をあげました。
しかし、今回は海老状に腰を曲げてのたうつことはできません。
両足が抑えつけられ、上半身はお姉さんがまたがって抑えつけられ、身動きできない身体で必死にもがき苦しみ、許しを乞うたのでした。
人間は、自分が絶対的優位な立場にあると確信すると、相手に対し嗜虐的な意識が起こり、相手が自分の目の前で苦しみのたうつ姿に悦楽を覚えるといいます。
私自身、心の中になかったことでもありません。動物を虐めて喜ぶような意識も同じでしょう。
また、江戸時代のキリスト教徒に対する「蓑踊り」なんてのもそうでしょう。
生きた人間が縛られ蓑で包まれ、その蓑に火がつけられ、苦しみのたうち回る姿を見て得も言われぬ悦楽にゾクゾクしていたに違いありません。
ここでは、目の前にいる年下の男の子が、硬くなったおち〇ち〇を虐められて苦しんでいる姿に、小〇校高学年のお姉さんたちが一種の嗜虐的悦楽を感じてゾクゾクしていたに違いありません。
肉棒を握っていた手を離すと、必死に腰を振って逃れようとする私の肉棒が目の前でブルンブルン振りまわっています。
その光景を見て、お姉さま全員が大喜びでした。
苦痛から逃れたくても、身体を抑えられて逃れることができません。
涙を流しながら許しを乞い、苦痛に耐えるしかなかったのです。
苦痛もしばらくすると収まります。
収まったところで、また再びウナ〇ーワを塗られたのです。
それが数十分にわたり繰り返されたのでした。
もうこれはお医者さんごっこではありません。
ただの拷問ごっこです。
しかし、本当に恐ろしいのはそれからでした。
もう二度とあんな思いはごめんだと、お姉さんたちを避けるようになったのですが、再びお姉さんたちとお医者さんごっこがはじまったのでした。
そして、今度は私の方から、さらなる責めを求めるようになっていました。
そう。
私の身体は、お姉さんたちによって、マゾの肉体へと改造されてしまっていたのです!
そんな経験も、お姉さまたちの中〇校進学と、私の転校で終わりを告げました。
後は、思春期を迎え、人並みに初体験も済ませ、これまで普通のSEXも体験してきました。
しかし、小〇生の頃のお医者さんごっこが私の身体に刷り込まれ、普通のSEXでは満足できない身体になってしまいました。
以来、この歳になっても仮性包茎を放置し、常に毛を剃った少年のようなパイパンちんこのままで、痴女様、S女様の責めを求め、お相手を求めつづけています。
このブログでは、そんなM男をつづってまいります。
ご意見・ご感想をお待ち申し上げております。
devu_houkei@yahoo.co.jp
近所に住む小学5・6年生のお姉さんたちと、時々、お医者さんごっこをして遊びました。
お姉さんたちはいつもお医者さんで、私は患者さんでした。
時々、男の子も交じりましたが、大抵はお姉さん3~5人に診察されました。
当然、子どもたちのお医者さんごっこですから、治療対象は性器でした。
性器、というより、私のおち〇ち〇でした。
小〇校低学年の男の子のお〇ん〇んは、もちろん毛など生えておらず、包茎のおち〇ち〇です。
けど、立派に勃起する性器で、お姉さんに限らず、男の子に弄られても硬くなってしまいます。
そんなお〇ん〇んがお医者さんごっこの玩具にされました。
他に患者となるお友達もいましたが、私自身の性格から、他人の性器は見たくても、手を触れることなど恥ずかしくてできませんでした。
けど、子ども心に仲間外れにされたくなくて、患者役を決めるとき、誰も名乗り出ず、仕方なく私が患者さんの役を名乗り出ていました。
そして、いつしか私が患者で他のお友達がお医者さんと、役回りが決まるようになり、そのうち男の子たちがいないところでお姉さんたちに私が診察されるのがお医者さんごっこになりました。
初めの頃の診察は、ただの触診、視診で、水にぬらしたティッシュでいろいろな部分を拭いたりしていました。
恐る恐る包茎を剥いてみたりしていました。
硬くなった肉棒にゴムを巻き付けられたり、タコ糸で縛られた記憶もありました。
未だ射精など経験したことがないおち〇ち〇を玩具にされていました。
しかし、そのうちお医者さんごっこがエスカレートしていきました。
ある時、いつものようにお医者さんごっこがはじまりました。
私はいつものように畳の部屋の床に横たわり、目を閉じて診察が始まるのを待ちました。
3~4人のお姉さんたちに囲まれ、ベルトが外され、ズボンとブリーフをずり下されました。
着衣のまま、ズボンとブリーフが膝までずり下され、無毛の股間が露になりました。
そして、いつもの触診から始まりました。
とっかえひっかえ手が伸びてきて弄りまわされているうちに、肉棒はすぐに硬くなってしまいます。
性器に興味がある年ごろとはいえ、まだ口に含んでちゅうちゅうと吸い付くような年齢ではありません。
自分の股間には付いていない男性の肉体に装着されている部品を興味本位に弄る程度でした。
ところが、あるお姉さんが「薬を塗らなきゃいけない」と言い出すと、別のお姉さんが硬くなった肉棒を握りしめ、一気に私の皮を剥きました。
皮が下され、表出したサーモンピンクの亀頭部が露出すると、そこへすかさず「ウ〇コーワ」が塗られたのです!
私「ぎゃーーー!!」
おち〇ち〇の先端に激痛が走りました。
目から星が出るような激痛が走りました!
小〇校低学年の男の子のお〇ん〇んの亀頭部など、全身で最も敏感で発達前の亀頭部です!
そこに刺激の強い湿布薬、それも液体状の湿布薬「ウナ〇ーワ」が塗布されたのです!!
一瞬で勃起は萎え、私は畳の上で海老状に腰を曲げ、股間を抑えて悲鳴をあげながらのたうち回りました。
あまりの反応で、お姉さんたちもビビったんだと思います。
甲高い笑い声をあげながらも、畳の上でのたうつ私を、何もせずに見下ろしていました。
海老状に腰を曲げて畳の上を転がりながらも、必死に亀頭部をマッサージして薬を拭き取ろうとしていました。
そして、その日の診察はそれで終わりました…。
数日の間、お姉さんたちは私の様子を観察していました。
しかし、いくら激痛が走ってのたうち回ったとはいえ、敏感な部分にウ〇コーワを塗られただけで、要は、傷口に塩のような刺激物が触れたようなものでした。
次の日、どころか、しばらくすれば激痛は収まり、何事もなかったようにもとにもどります。
それに安心したのか、再びお医者さんごっこに招かれました。
もう二度と、あんな真似はしないことを約束され、再び私は畳の上に横たわらせられました。
お姉さんたち「もう治ったかなぁ~?」
とか言いながら、いつものように私のズボンとブリーフをずり下しました。
すべて脱がすのではなく、いつも膝の上までずり下し、露になるのは臍の下から太腿あたりまでです。
その状態を見て、大人の女性なら、私のツルツルち〇ぽに吸い付いてくださるのでしょうが、お姉さんたちは、いつものようにズボンをずり下したのですが、この日は、ズボンもブリーフもすべて足の先から脱がされ、下半身で身に着けているのはソックスだけにされてしまいました。
お姉さんたち「今日はもっと治療します!」
とかなんとか言い聞かせながら下半身を裸にすると、両足をVの字に開かされ、その両足首の上に他のお姉さんが股がって抑えつけたのです。
一抹の恐怖を感じながらも、下半身を弄られていると、肉棒はすぐさま硬くなりました。
すると、今度は、お姉さんの中でもっとも体格の良いお姉さんが私の胸の上に馬乗りになりました。
両足首にそれぞれお姉さんが乗っかって足を抑え、胸の上に一番大きなお姉さんが馬乗りになって私の身体を抑え、身動きができなくなってしまいました。
その瞬間、何をされるのか恐ろしくなり、許しを乞いました。
私「やめて!やめて!」
私の懇願など完全無視でした。
そして、思った通り、今再び、私の先端の皮がズルリと剥き下ろされ、ウナ〇ーワが塗られたのです。
私「ぎゃーーーー!!!」
悲鳴をあげました。
しかし、今回は海老状に腰を曲げてのたうつことはできません。
両足が抑えつけられ、上半身はお姉さんがまたがって抑えつけられ、身動きできない身体で必死にもがき苦しみ、許しを乞うたのでした。
人間は、自分が絶対的優位な立場にあると確信すると、相手に対し嗜虐的な意識が起こり、相手が自分の目の前で苦しみのたうつ姿に悦楽を覚えるといいます。
私自身、心の中になかったことでもありません。動物を虐めて喜ぶような意識も同じでしょう。
また、江戸時代のキリスト教徒に対する「蓑踊り」なんてのもそうでしょう。
生きた人間が縛られ蓑で包まれ、その蓑に火がつけられ、苦しみのたうち回る姿を見て得も言われぬ悦楽にゾクゾクしていたに違いありません。
ここでは、目の前にいる年下の男の子が、硬くなったおち〇ち〇を虐められて苦しんでいる姿に、小〇校高学年のお姉さんたちが一種の嗜虐的悦楽を感じてゾクゾクしていたに違いありません。
肉棒を握っていた手を離すと、必死に腰を振って逃れようとする私の肉棒が目の前でブルンブルン振りまわっています。
その光景を見て、お姉さま全員が大喜びでした。
苦痛から逃れたくても、身体を抑えられて逃れることができません。
涙を流しながら許しを乞い、苦痛に耐えるしかなかったのです。
苦痛もしばらくすると収まります。
収まったところで、また再びウナ〇ーワを塗られたのです。
それが数十分にわたり繰り返されたのでした。
もうこれはお医者さんごっこではありません。
ただの拷問ごっこです。
しかし、本当に恐ろしいのはそれからでした。
もう二度とあんな思いはごめんだと、お姉さんたちを避けるようになったのですが、再びお姉さんたちとお医者さんごっこがはじまったのでした。
そして、今度は私の方から、さらなる責めを求めるようになっていました。
そう。
私の身体は、お姉さんたちによって、マゾの肉体へと改造されてしまっていたのです!
そんな経験も、お姉さまたちの中〇校進学と、私の転校で終わりを告げました。
後は、思春期を迎え、人並みに初体験も済ませ、これまで普通のSEXも体験してきました。
しかし、小〇生の頃のお医者さんごっこが私の身体に刷り込まれ、普通のSEXでは満足できない身体になってしまいました。
以来、この歳になっても仮性包茎を放置し、常に毛を剃った少年のようなパイパンちんこのままで、痴女様、S女様の責めを求め、お相手を求めつづけています。
このブログでは、そんなM男をつづってまいります。
ご意見・ご感想をお待ち申し上げております。
devu_houkei@yahoo.co.jp