新聞配達マダム ③
素直でなんでも言うことをきき、自分の思うがままに出来る肉棒玩具を手に入れた女性が巡らせる創造力ほど恐ろしいものはない、と聞いたことがあります。
未だジェンダーなんて言葉も出てこない時代、女性の影の部分の爆発を目の当たりにし、その生贄となった私でした。
いや。
全ての女性がそうなのでしょうか…。
専売所の女神さまは、ほぼほぼ毎日、私の寮(と言ってもマンションの一室ですが)へ押しかけて来ました。
押しかけてくる、と言うより、私はおばさまの言うがまま思うがままに従ったのでした。
おばさまが寮に来たらまずは有無も言わさず全裸にならなければなりません。
その下半身に毛が1本でも剃り残してあればすぐさまお仕置きの拷問です。
いや、剃り残しがなくとも、おばさまがむしゃくしゃしている時は拷問が始まります。
泣き叫ぶことも許しを請うことも出来ません。
真昼間から、おばさまのなさるがまま、全裸で後ろ手に縛られ大股開きでおばさまの目の前にパイパンの股間を晒さなければなりません。
運が良ければ拷問はソフトに終わります。
しかし、通常、その拷問はハードを極めました。
特に、苦痛系の拷問は我慢すれば耐えられますが、
快楽系の拷問は耐えられず、気絶しそうになるほどでした。
自分で肉棒をしごき射精するオ〇ニーで、射精後の亀頭部が激しく敏感になっていて、それ以上しごけません。しかし、おばさまは決して許さず、射精後の亀頭部を刺激し続けました。
肉棒が縛られ、その紐の先に車輪のついた小さな台車が繋がれ、四つん這いでその台車を引きずるよう命令されました。
肛門にはきゅうりが挿し込まれ、私の背中におばさまがまたがって、四つん這いで歩かされました。
台車の上には、普段、私が体を鍛えるための鉄アレイが載せられ、肉棒が引きちぎれんばかりの重さの台車を引きずり、四つん這いで歩きました。
おばさまは私のお尻に容赦なく鞭を打ち込み、四つん這いで歩かされました。
また、ある時は、ガン起ちカチンカチンの私の肉棒をペンチで力の限りはさみ、引っ張りました。
苦痛で歪んだ私の顔を見てうすら笑いを浮かべ、ご堪能になりました。
ペンチで玉を潰す、とおっしゃられた時は、さすがに泣いて許しを請いました。
幸い、未だ玉は2つ残っています。
何度かドッキングもしました。
けど、おばさまがイクためのドッキングであり、私が発射することは許されませんでした。
勝手に発射できないようにと、肉棒の付け根を輪ゴムでギチギチに縛り、発射することも萎えることも許されず、おばさまの蜜壺に吸い込まれました。
ドッキングの時は、余計なものに惑わされないようにと、目隠しをされるか全頭マスクで視界を奪われました。
私の身体は、完全に専売所の女神さまの肉玩具とされました。
そして、それが私にとって、最高の悦びとなってしまったのです。
子ども体験、青年期体験、これら以来、まともなSEXなどできない身体となってしまいました。